倉木麻衣の歌詞に否定的な人は多い。彼女の歌詞は稚拙で奇麗事ばかりだという。本当にそうなのか。いいや、倉木麻衣の歌詞は、楽観主義に生きる力強い人生観に裏づけされた、深く味わいのあるものなのだ!ということを書き綴っていくブログです。
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またまた「I sing a song for you」です。前回の補足的な内容になっています。
(前回の記事をご覧になってない方は、先にこちらをご覧になってください→第7回「I sing a song for you~悲しみを乗り越えて」)

静かにここから舞い上がり
自由に空飛ぶ鳥のように
苦しみすべて 解き放たれてゆくまで


皆さん、この詞から何を想像しますか?
私は最初、これが「死」を意味しているのでないかと思っていました。
もし「死」を意味していたとすると、それはつまり、「私」の苦しみは死ぬまで癒えない、ということを意味することになります。

どうでしょう、私と同じように(また、前回の記事にコメントを寄せてくださったadachimaさんのように)、「死」を婉曲的に表現したものだと受け取った方はどの程度いらっしゃるでしょうか。
しかし、私は何度か聴いていくうちに、やっぱり違うなと思い、考え方を改めました。
その結果、第7回に綴ったとおり、「(I don't say good bye における)さよなら」=「静かにここから舞い上がり自由に空飛ぶ鳥のように苦しみすべて解き放たれてゆく」という結論に至ったわけです。

なぜ、考えを改めたかというと・・・



そのまえに、話を進めていくうえで非常に重要なことなのですが、「静かに~解き放たれてゆくまで」は何に係っているのでしょうか。
これは2通りの解釈がありえます。

(1)「静かに~解き放たれてゆくまで」→「忘れない きっと」
(2)「静かに~解き放たれてゆくまで」→「君が触れたその手を 離さないでいて」

私は、(2)だと思っています。
なぜか。
それは、「私」が大切な人であった「君」のことを忘れないなんて当然のこと、だからです。
(1)だとすると、苦しみから解き放たれたら「君」のことを忘れてしまうとはなんて薄情なやつだということになってしまいます。忘れたいとは確かに言ってますが、いつまでも心に刻むと決意している「私」です。整合性がとれません。
これは「静かに~解き放たれてゆくまで」をどう解釈しようが関係はありません。



ということで、改めて。
なぜ考えを改めたか、一つ一つ説明していきますね。

まず、死ぬまで「君が触れたその手を離さないでいて」というのは、あまりに依存的ではないでしょうか。
「私」は「君」が見えるとまでいうんです。
見方によっては、クレイジーだともいえるでしょう。
(これこそがこの歌のもつ究極的なオリジナリティーであり最大の魅力なのですが)
さらに死ぬまで「君が触れたその手を離さないでいて」とすると、痛々しすぎると思います。

そして、「どうしてもまだ I don't say good bye」との整合性の問題があります。
ここから見るに、「私」はいつか〝さよなら〟を言わなければいけないと感じているはずです。
だから、いつまでも「君」を縛り付けるような表現はおかしいのではと思います。

では、これはどう捉えるべきでしょうか。
静かにここから舞い上がり
自由に空飛ぶ鳥のように
苦しみすべて 解き放たれてゆく

私は「私」の人生にいつかこのようなときが訪れて欲しいと思います。
「私」はきっと「君」の存在を一生感じ続けると思います。
でもそれは、「君」の触れた手をずっと握り締めていることとは違うんじゃないでしょうか。
「君」に手を触れてもらおうとしなくてもよくなったときこそが、「さよなら」できたときです。
今この部屋も眠っているよ(2番歌詞より)」と「私」は現実には「君」がいないことを知っています。
この部屋を再び呼び起こすのは誰でしょうか。
「君」ではありません。
「私」たち生きている人間です。
きっと倉木麻衣は、私たちにその力を少しでも早く取り戻して欲しいという思いをこの曲に込めている、と私は思います。



最後に一言。
この曲はうだうだ考えずに、心で聴きましょう。
そこででた答えがあなたにしか見つけられない正解です。
・・・などとあたり前のことを偉そうに言ってみる。
コメント
この記事へのコメント
adachimaです。大切な人の喪失について「苦しみ」は薄らいでもある種の「痛み」は一生残るものと考えています。そのような人を少数ではありますが知っています。この歌はそのような人へのエールであると考えています。倉木麻衣さんの歌には「とどかないものへの強い思い(願い)」を歌ったものがあり、そこが僕が強く惹かれる理由でもあります。
2006/07/14(金) 20:57 | URL | adachima #-[ 編集]
>adachimaさん
adachimaさんのおっしゃることは私なりに分かっているつもりです。
大切な人を喪失した経験は私にもありますが、大切な人をどんな形で喪失したのか、またいかに大切に思っていたのかで痛みは千差万別だと思います。
簡単に私が論じれることではありません。
adachimaさんの考え方を否定する気で書いたわけではなく、あくまで私はこう思うということを書いたつもりです。
これに関しては、個人的にいろんな人の意見を聞いてみたいですね。
最後に、文中に勝手にadachimaさんのHNを持ち出しましたが、もし不愉快に思われたなら言ってくださいね。
2006/07/21(金) 22:41 | URL | SaySay #-[ 編集]
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