倉木麻衣の歌詞に否定的な人は多い。彼女の歌詞は稚拙で奇麗事ばかりだという。本当にそうなのか。いいや、倉木麻衣の歌詞は、楽観主義に生きる力強い人生観に裏づけされた、深く味わいのあるものなのだ!ということを書き綴っていくブログです。
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前回(http://saysay.blog71.fc2.com/blog-entry-95.html)の続きです。

倉木麻衣は各メディアで決まって「Season of love」のメインテーマを「大きな愛」と表現しています。
私は「大きな愛」(歌詞中のlove)とは何かについて、“自分への愛”だと結論付けました。
しかし、“自分への愛”というと、なんとも小さい愛ではないかという感じがします。「大きな愛」というなら、“人類愛”などといった言葉で表現すべきではなのでは、とも思えます。それにもかかわらず私が「大きな愛」を“自分への愛”と解釈するのはなぜか。それを続いて書いていきたいと思います。


「Season of love」のlove転じて「大きな愛」を“自分への愛”と釈する根拠

<根拠1>
歌詞の中で、他者との関連性が強調されているいとはいえない。むしろ、自分を見つめることに終始しているように思える。
<根拠2>
倉木麻衣が今までに出してきた曲のなかで、他者に愛を向けていこう、ということを歌ったものはない。
<根拠3>
music freak magazine等で、倉木自身が歌詞の中で特に思い入れの強い箇所を「自分信じず 誰が信じる」の部分だと言っている。

「Season of love」が他者への愛に主眼が置かれているなら・・・
この曲では、何かを無くし、自分が消えてしまうと思えるほどの苦しみに喘いでいる人物像が描かれています。
そういう人に向かって他者を愛せということに何の意味があるのでしょう。それは、さらに「Yes」を押し付けることではないでしょうか。
さらに、他者を愛することの価値について言及されておらず、他者との関連性に対する示唆がないことから、単なる押し付けを脱却する要素はないように思います。

倉木麻衣が表現したかったことがそんなことだとは思えない。もし、そんなことだと思ったら私はこの曲を好きになれなかったと思う。
私たちは聖人君子ではないし、だからこそ苦しんでいるんだと。
自分を愛せない人は他人を愛することもできない。まず、自分を愛することが第一歩だ。つまり、自分を愛することが「大きな愛」を生み出す源泉なのだ。倉木が最も強調したかったことはここであって、取り立てて他者を愛することについて表現することを避けた、そう私は思います。

人は皆同じルールで生きていないから/全部抱きしめていて....誰にも負けないように」の解釈について

前回、この部分に対して“独り善がりでもいいから自分を愛していけ、大事にしていけ”というメッセージを感じたと書きました。つまりそれは、「全部」を、違ったルールをすべて包含するという意味ではなく、「自分」という存在のすべて、という意味で解釈したということです。
それはなぜかと言われれば、全体のテーマ性から考えてそう受け取るのが自然だと思ったからです。(もちろん全体のテーマ性の受け取り方が違えばそれは180度変わりうるわけですが)
また、大サビに「守り通せ 自分信じず 誰が信じる」という言葉がありますが、それとも意味合いが合致します。社会のなかで傷つき俯いた人に対する言葉としても納得がいきます。

ということで「大きな愛」を“自分への愛”と解釈すれば万事OK!
―――といきたいところですが、そうもいきません。赤字部分を始めとして、矛盾する点がいくつもあります。

ということで続く。
コメント
この記事へのコメント
すみません 初めてなのにあいさつもせずに...
そうですね 自分自身が世界ーであり それを信じろということですね
私は自分自身が宇宙そのものと考えてます 自分自身=宇宙世界と考えてます 自分への愛=世界への愛と思います 宇宙=人体そのものだと思います
倉木さんは 倉木さん自分自身にも自分を信じよと 言いきかせていると思います 常識の波に押し流されないようにと 愛は地球を救うは机上の空論でないと
勉強になります また頭のよくない私に教えてください
つまらない文章だと思われたら時間の無駄でしょうから返答はなさらないでください
2007/04/12(木) 10:29 | URL | しろ木 #-[ 編集]
もうーつ気になることは このCDを買われる層はあるていど金銭的など余裕がある人だとおもいます
そういう人にバレンタインだけでなく大きな愛を示す時だと呼びかけていると思います
2007/04/12(木) 10:51 | URL | しろ木 #-[ 編集]
こんばんは。show-catです。

考察の続編、お疲れ様です。
SaySayさんの論理は非常に説得力があって本当に感心します。

”大きな愛”の意味。難しいですね。私の見解は、赤字部分の解釈に近いです。”自分への愛”が確かに原点ですが、それが起点となって外への”愛”も育っていくと考えます。

”大きな”と付けられているので、”自分への愛”だけではないと思います。PVを観るとなお一層そう感じます。単なる”博愛”でもないでしょう。ただ、MFMの中の”人は皆...大きな愛を求めている”とのコメント等から、その愛には受動的な愛、つまり”寛容さ”、言い換えれば”赦しの心”、というものも含まれているような気がします。
2007/04/12(木) 22:40 | URL | show-cat #-[ 編集]
さて、ネタばれになりますが、今回の会報によると、「Season of love」は、テレビドラマとのタイアップを前提に制作されたのではないということですね。そうすると、その制作時期から考えて、倉木さんが、FCサイトのツアーレポートで言及されていた北朝鮮の核実験が制作に大きく影響しているのではないでしょうか(レポートでは、倉木さんにしては珍しく憤りや悲しみの感情を顕わにしておられました)。勿論、環境問題や貧困の問題、続発する様々な事件等の影響もあるとは思いますが。

前回のコメントで述べた世界観の壮大さですが、後日、詳細をコメント致します。

では、今日は、おやすみなさい。
2007/04/12(木) 22:51 | URL | show-cat #-[ 編集]
こんばんは。show-catです。

私の考える「Season of love」の世界観の壮大さですが、それは、”今ただこの世界諦めないで”のフレーズがキーになっています。

このフレーズには、二重の意味があると私には思えます。一つは、逆境で自信をなくし、自分を見失っている人に対して、”自分を信じ、自信を持って前向きに生きていこう”という訴え。つまり、”この世界で生きていく事を諦めるな”という意味。これは、ごく普通の解釈でしょう。



もう一つは、退廃的で殺伐とし矛盾に満ちた今の世の中に失望していて、何をしてもこの世界は良くならないという無力感を抱いている人に対して、”一人一人の努力(”大きな愛”)で、必ずより良い世界にしていける”という訴え。つまり、”この世界をより良い世界にする事を諦めるな”という意味です。




このように考えると、詞全体は一個人のレベルを越え世界的な拡がりを持つメッセージとなるでしょう。又、詞の中の”君”は、一個人だけでなく、集団、更には国家までも含むものとなります。



ちょっと強引な論法かもしれませんが、PVからも「Season of love」が、”大きな愛”をもって世界の諸問題を解決していこうというメッセージを含んでいるのは確かだと思います。

以上ですが、かなり長文になってしまい、失礼しました。
2007/04/14(土) 23:47 | URL | show-cat #-[ 編集]
前コメントで改行が異常になってしまい、申し訳ありません。
2007/04/14(土) 23:53 | URL | show-cat #-[ 編集]
>しろ木さん

仰ることに大いに賛同します。
自分自身が宇宙・・・その境地に私は達しておりませんが、しろ木さんと同じような思想は持っています。
倉木さんがそういった思想を持っているのかどうかは分かりませんが、今後“自分を信じる”ことの思想的バックボーンはどこにあるのかを歌詞で表現して欲しかったりしますね。
ちなみに「愛は地球を救う」という標語は、私はあまり好きではないです。

えー、私も頭は悪いので、むしろ私の方がいろいろご教授頂きたいです。さらに頭の回転が遅いのでブログを更新し続けるのも一苦労なんです(^^;)
2007/04/15(日) 17:03 | URL | SaySay #-[ 編集]
>show-catさん

ほんと仰るとおりです。そういったことを続き(これで最後にします)に書きたいと思っています。

“この世界をより良い世界にする事を諦めるな”というテーマを主軸にして(もう一方を無視し)解釈していこうとしたこともあるのですが、それは余計に強引で無理がありました。
そして今回の私の考察自体も無理があります。自分を愛することが「大きな愛」を生み出す源泉なのだ、と言ったところで、「大きな愛」が何であるかという答えになっていないからです。
二重の意味があることはもはや否定はできないのでしょう。

“一人一人の努力(”大きな愛”)で、必ずより良い世界にしていける”というメッセージ性はあると思います。ただ私にとって大問題なのは、全くこれに共感できないということです。このメッセージを伝えるには、この歌詞ではあまりに力不足ではないでしょうか。その意味では倉木さんに対して批判的です。
結局のところ、「Season of love」は多くのテーマを詰め込みすぎだと私は思っています。
しかし、そうであっても「Season of love」には、なお光る部分があると思っているので、これをいかに表現するのかが難しいところなんですが・・・。
2007/04/15(日) 17:39 | URL | SaySay #-[ 編集]
ありがとうございます
倉木さんは未熟でも成長して行かれればいいと思うんです ただ私が一番気になるのは 倉木さんの政治的発言が権力により封じ込まれているのでは? ということです
倉木さんには政治的発言をしてほしい そして若い人に政治に興味をもってもらい政治について議論してほしいという思いがあります
かなり的外れな文章になりました スルーして下さい
2007/04/15(日) 20:47 | URL | しろ木 #-[ 編集]
show-catです。

レス、ありがとうございます。

>このメッセージを伝えるには、この歌詞ではあまりに力不足ではないでしょうか。

確かに、曖昧で、何とでも意味を採れるような詞で、リスナーに解釈を委ねているようなところもありますね。SaySayさんの仰るように、歌詞の力不足は否めないと思います。テーマを絞った方が良かったのかもしれません。

しろ木さんの仰る倉木さんの政治的発言ですが、「Season of love」の歌詞の中には、そのように解釈しようと思えば出来る部分もあるのでは。まあ、無理なこじつけになるかもしれませんが。
2007/04/15(日) 21:28 | URL | show-cat #-[ 編集]
前コメントの補足ですが、歌詞の力不足を補うために、PVをあのような内容構成にされたのかもしれませんね。
2007/04/15(日) 21:39 | URL | show-cat #-[ 編集]
>しろ木さん
うーん、私はどちらかというと倉木さんに政治的発言を求めてはいませんね。倉木さんが今の立場で政治的発言を行っていくことは風当たりが強すぎるでしょうし、それに立ち向かっていくだけの強い政治的スタンスも持っていないように思います。
しろ木さんが倉木さんに求める政治的発言というのは、例えばどのようなものですか?
2007/04/15(日) 22:39 | URL | SaySay #-[ 編集]
政治家は基本的に若い人に政治に興味を持ってもらいたくないと思っている と思ってるんです そのほうが政治をやりやすいと思うんです
国民にかしこくなってもらいたくないと考えている 政治家が多いとおもいます

倉木さんが ”この政治的問題について 皆さんどう思われますか?”位でいいと思うです これで若い人が政治に興味を持ち 議論し 勉強し 将来の日本 世界を創っていってほしいと思うんです
風あたりが強いから 自分の意思を曲げる 倉木さんが一番嫌いな所ではないでしょうか
期待されるYESにNOと言えずにうつむいてたのは倉木さんだと思うんです
期待されるYESは ”政治的発言をするな”と考えています

今の立場で政治的発言はしないほうがいい  そういった常識を変え 立場のある人が発言し国民が議論するようになってほしい 若い人が路上で政治的議論をもっとしてほしい
未熟だから発言しないほうがいいではなく そこからスタートし成長してもらいたい
2007/04/16(月) 08:34 | URL | しろ木 #-[ 編集]
>しろ木さん

そうですか。異論はありません。
ただ私は、その前に歌の方で、もっと社会問題の深層に切り込むようなテーマを扱って欲しいと思います。そのなかで政治のことを比喩的に表現していってもいいのかもしれません。

結局、しろ木さんと私の違いは、倉木さんに対してどれだけのことを期待しているかなのでしょう。私はたぶんこの分野に関して、しろ木さんほどの期待は持っていないと思います。
2007/04/16(月) 21:28 | URL | SaySay #-[ 編集]
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